目に見えやすい付加価値 人は付加価値より人間性を認められたい

 

付加価値ですから、身につけていた宝石は、所有者が亡くなっても高額で取引されます。クルマも家も預貯金も、社会基盤が根底から覆らない限り、所有者の人間性とは無関係に、社会的な価値を帯つづけます。

付加価値は目に見えやすく、わかりやすいため、付加価値を認めるのは簡単です。「あら!素敵な洋服」「うわ!立派な家」と誉めそやすだけで充分。

ただし、気をつけなければならないのが、ぞんざいで、疎(おろそ)かで、うわべだけな、なおざりのストロークになってしまうこと。

客引きの「社長!社長!」という呼び込みが典型的ですよね。客引きは、社長という社会的地位に敬意を払っているわけではなく、「社長と呼んどきゃ、まぁ気を悪くしないだろう」との、うわべだけのストロークを放っているわけです。

人は、付加価値よりも、人間性を認められたがりますから、たとえば、「素晴らしいクルマですね」「いい乗り心地ですねですね」とクルマばかり褒めて、その人の人間性に触れないでいると、「ああ、こいつはクルマに興味があるだけで、自分自身に興味があるのではない」と、カンタンに見抜かれてしまい、クルマを介しただけの付き合いになり、そこから先へは進みにくい。

もちろん、クルマ以上の付き合いを望まないのであれば、それはそれで良ければ良いのですが、浅い付き合いに留まることは言うまでもありません。

そうした軽い付き合いを望む風潮もありますし、素性を明かさなくもよいインターネットのブログなどでは、それが可能ですから、付き合いの度合いを使い分けて楽しめば良い。

ただし、「良い」と伝える行為は、確かにプラスのストロークですが、人間性を認めるのではなく、付加価値のみを認める場合は、くれぐれも褒め殺しにならないように気をつけて下さいね。