無条件に認める真価 アンコンディショナルストローク

真価を認めるには、無条件で認める方法と、条件つきで認める方法の2通りがあります。

無条件で認める方法とは、出来ようが出来まいが、真価そのものを認めること。これを、アンコンディショナル(unconditional:無条件の)ストロークといいます。

絵が上手な人がいたら、絵画展に入賞しようと、しまいと、「上手ですね」と褒める。

子供が0点をとってきても、「0点でも良いじゃないか。試験を受けたから、0点であることが分ったんだ。次は1点でも多く取ろう」と励ます。

大きな商談を契約できない営業マンがいても、一生懸命にやっているなら、「よく頑張っているな」と声をかける。

歌がうまかったら、「きれいな歌声だね。もっと聴かせて」と褒める。

字や書が美しいかったら、「美しい字だなあ」と褒める。

足が速かったら、「足が速いぞ。それが持ち味かも」と褒める。

もちろん、
「どうして、結果の出ない者を、認められようか?」
という反論もあるでしょう。いつまで経っても結果が出ないのに「それでもいい」と認めてばかりいては、現状に甘んじるか、図に乗るか、逆に重荷になってしまう危険性もある。

しかし、結果が出ないのは、結果を出せない本人だけの問題でしょうか?結果の出ないことをやらせ続けている立場(親・教師・上司・指導者など)にも問題があるのと違います?

結果を出せないのは、本人だけの責任ではなく、監督する立場の責任でもあります。それを棚に上げて「結果の出ないものは認められない」と糾弾するのは、指導者自らの無能を暴露しているようなもの。
糾弾は、指導者にとって、諸刃の剣なんですよ。それでも人を責めますか?