先天的な真価を見つける、見つけてもらう

先天的な真価

真価には、芸術やスポーツのように先天的な才に因るものと、勉学や料理のように後天的に伸びる真価があります。

いくら努力したって、すべてのプロ野球選手が球史に名を残せないように、球史に名を残す名選手は、先天的な才があります。

その逆に、天賦の才に恵まれているからといって、何の努力もしない人が、いきなり大成するわけはない。イチロー選手にしたって松井選手にしたって、天賦の才に恵まれていながら尚、人の何倍も練習するといいます。人の何倍も野球が好きだから、人の何倍も練習できるのかもしれません。

ある小学生は野球が大好きで、野球部に所属していました。が、万年補欠で、人の二倍も練習しているのに、レギュラーになれなかった。よく「万年補欠」とからかわれていました。それでも好きな野球を辞めずに、万年補欠のまま、小中学校を終えました。彼は、小中学校まで、私の同級生でした。

高校進学を機に彼は、

「野球が好きなことと、野球のプレイヤーになることは違う。好きなだけなら、野球観戦でも、野球ファンでも良い」

と、長所である持久力を活かし、陸上部のマラソンへ移りました。すると、瞬(またた)く間に好成績を挙げ、地方紙のスポーツ欄に載るほどまでの選手になりました。彼は、球技には向いていませんでしたが、陸上に向いていた。

野球がダメだからといって、その人の全ての真価が否定されるものではない。ということは、野球の上手下手で能力を判断するのは間違っていることになりますね?


野球がダメなら、他の道へ進む方法もあります。彼の場合は、持久力という真価が認められることによって、進むべき道で成功できた例といえましょう。